2024.08.20
変わらぬこと、磨き続けること。玉乃光に宿る酒造りの精神。
今年創業350年を迎えた玉乃光酒造。紀州藩の第二代藩主、徳川光貞公より酒造免許を賜った御用蔵として歴史を刻み、京都に蔵を移してから70余年。まじめに実直に、手づくりの製法を守り続けてきました。
記事を読む
澄み渡った秋晴れの朝。熊野三山の一つ「熊野速玉大社」の社殿で、「玉乃光」の新酒の奉納とご祈祷が始まります。
熊野速玉大社は、熊野本宮大社、熊野那智大社とともに「熊野三山」の一社であり、主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ|イザナギノミコト)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ|イザナミノミコト)の夫婦神。今からおよそ2000年前の景行天皇五十八年、社殿を造営したと伝えられています。
この歴史ある熊野速玉大社に帰依した初代・中屋六左衛門が、宮司から「玉乃光」という美しい酒銘を拝受したというご縁から、玉乃光酒造では秋の季節になると、熊野三山に新酒をお神酒として奉納しています。
中でも熊野速玉大社の奉納では、宮司による祝詞のほか、御神木の梛(なぎ)の枝葉を手に巫女が舞う神楽舞も捧げられました。熊野の神々が見守る穏やかな陽光の中での舞は神秘的な美しさに満ちています。
「神社とお酒は深いご縁で結ばれています。神様へのお供えも、まずお米とお神酒、そして水と塩です。神事では、どぶろくを「黒酒(くろき)」、清酒を「白酒(しろき)」と呼ぶんですよ。科学の時代になっても、お酒は人智を超えた、見えない何かによって出来上がる。昔の人はその「醸し」という技術に神を感じ取ったのかもしれません。だからこそ「これでよろしいでしょうか」という敬いの気持ちで奉げたのでしょう」と熊野速玉大社の宮司、上野顯さん。
言い伝えによると、「玉乃光」の名の由来は、速玉の大神様が光り輝くような魂のお力をお持ちであること、もう一つは熊野川で神様をお迎えする「御船祭」での水しぶきを神格化したもの、という2つの意味が込められているという。
「輝く玉(魂)。酒の魂が美しく光り輝くという素晴らしいお名前だと思います。なんとも日本らしい、そして芳(かぐわ)しいお名前ですよね」(上野顯宮司)
そして、境内で豊かに葉を繁らせているのは、樹齢約1000年という国指定天然記念物の御神木・梛(なぎ)の大樹。熊野三山に祀られる神「熊野権現」の象徴とされる梛の樹は、平安末期に平重盛によるお手植えと伝えられ、熊野速玉大社の神事では榊(さかき)ではなくこの梛の葉が使われます。葉が特徴的な形状で、主脈がなく葉脈が縦に平行に伸びており、縦に引っ張っても切れないことから、魔除けや縁結び、家内安全のお守りとして信仰されています。
熊野速玉大社から1kmほどのところに位置する「摂社神倉神社」は、熊野大神が最初に降臨した聖地とされ、神倉山の中腹に御神体の巨石「ゴトビキ石」が鎮座しています。この「ゴトビキ石」に辿り着くには、鳥居から続く自然石で造られた五百数十段もの急な石段を昇らねばならず、行く手を阻むかのような急勾配は熊野古道の中でも随一の険しさ。まるで自然を神として信仰する畏怖の念が現れているかのようです。
水を尊ぶことも、「玉乃光」の酒造りの根幹となるもの。熊野速玉大社で毎年10月中旬に行われる「例大祭」には、熊野川の河口から2kmほど上流に浮かぶ御船島に熊野速玉大社の御神体を渡す「御船祭」があります。実に約2000年の間受け継がれてきた神事で、9隻の木船で島を3周し、その速さを競い合う「早船競漕」が最大の見せ場となる勇壮な祭りです。木船の櫂が熊野川の水面を叩き、キラキラと飛び散る水しぶきに神の存在を感じ、「玉乃光」の由来の一つとなったと言われています。もちろん熊野三山の一つ、「熊野那智大社」の御神体である那智の滝も、熊野の自然信仰を象徴するものであり、133mの高さから流れ落ちる神々しい景色に圧倒されます。
清らかな水とともに生き、自然を敬う精神が息づく熊野。このいにしえの聖地もまた、「玉乃光」の故郷なのです。